逃げ出したくなるような恐怖に打ち勝つための、3つの重要な心構え。



これは誰でしょうか。

そう、私です。

え、違うって?

5年前はまだ若かったのですよ。



9月14日になると、毎年思い出すことがあります。

こちら、私が21歳になりたての頃、大学3年生ですね。
生まれて初めて大勢の前で登壇して話した時のことです。確か、800名くらい。

しかも、一緒に登壇しているのが
リクルートの当時の社長さん、東急電鉄の副社長さん、、などなど。

この時私は、「東京の学生代表」という立場で、東京青年会議所が主催するイベントに立っていました。


このお話も突然決まったことで相当緊張していたというか、緊張どころじゃなくてもはや立つこともままならないような状態だったのですが、
確か日本の伝統をネタに、日本人1人1人が持つべき当事者意識について話したような気がします。

結果としてはこの私の話がかなり大成功でして、随分とこの後ちやほやされました。。。



それは置いておいて、このお話を主催側からいただいた時、あまりにも怖すぎて、かなり悩んだのです。
だって、一緒にパネルディスカッションをするのは上記のような、錚々たる大企業の経営陣ですよ。

ただの一介なる茶道男子21歳には荷が重すぎたわけです。


でも、なんとかそれをやり遂げ、会場のみなさんからスタンディングオーベーションをいただくようなお話をすることができました。
これは今も私の強烈なる成功体験として体に刻まれているのですが、改めてこの時に、どう恐怖に打ち勝ったのかをまとめてみることにします。

■恐怖には、恐怖を持って制す
■自分だからこそできることを無理やりつくる
■死に物狂いで当日の情景を想像し練習し続ける

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■恐怖には、恐怖を持って制す

まず、怖いわけです。
800人の前で話すことも怖いし、こんな面々と一緒に話すのも怖いし、何話せるのかわからなくて怖いし、恐怖の虜になります。
怖くて怖くて仕方のないこと、みなさんもありますよね?

でも、そこで1つ考えてみてください。
実際、この件を辞退してみましょう。辞退した先に何が残っているか。

今までと変わらぬ世界、そして、後悔です。

何か変化を起こさねば、当然のことながら何も変化は起きません。
変化が起きるのは、何か変化を少しでも起こそうと一歩踏み出したからです。

この時、私はこの件を引き受けなかった時の後悔を想像しました。
本当はあそこで話せたかもしれないのに、あそこで新たな出会いやきっかけが生まれたかもしれないのに、それを全て失い、おそらく後悔の念しかない。
そう、想像したのです。

その凄まじい恐怖が、もともとあった恐怖よりも明らかに上回っていました。

この時、私は恐怖に対して恐怖を持って制したのです。


■自分だからこそできることを無理やりつくる

さて、いくら後悔の念、その恐怖を思い浮かべて制そうとも、次から次に恐怖はやってきます。
まず、何を話すんだと。しかも、その場の流れに合わせて、他の方の意見に合わせつつ新鮮な意見を提示するだなんて、そんな高度な技術は私にはないわけです。

この時の私は、それまで21年間生きてきた上で、経験したことの中でしか話せないのだし、そもそも自分が出せるクオリティなんて、ゴミ屑のようなものだと認識することにしました。

その上で、他の方がどんなことを話すかを、彼らの会社のページや彼らのインタビュー記事を見あさり、想像してから、彼らには話せないけれども自分だからこそできることを想像していきました。
だって、登壇者側も聴講側も、学生が話すことなんてほぼ興味ないかもしれませんが、その中でも他の登壇者たちの話の超劣化版みたいになることだけは避けようと。
同じようなジャンル話をそこらへんの知見なき学生から聞いても聞いている側は面白くともなんともないですよね。

だから、その時の私は以下の4つを武器に、戦い抜こうと決めたのです。
・日本の文化や伝統が大好きで、一般人と比べて知識豊富
・キャリア系の社団法人の立ち上げをしていたので、その時の参加者たちの悩みや考えのデータ量が豊富
・国際系NPOで大手企業とのアライアンス部分の企画統括をしていたので、そこから世界中の子供達が置かれている状況に対する知識
・そもそも、圧倒的に年下、そして学生というところでの優位性

文脈がどうであろうと、アドリブだろうと、数分はここなら話せる!というところを明確にしておきました。
というか、それ以外のところは基本的に話さない前提でもいいと考えていました。

とにかく、他の方が話さないところを徹底して突こうと思っていました


■死に物狂いで当日の情景を想像し練習し続ける

後悔の念を想像し恐怖を超え、自身の話す内容を一部に収斂させようとしたところで、まだ次なる恐怖はやってくるわけです。

もはや、そこでその恐怖に打ち勝つには、「これで大丈夫だ!」と思うくらい練習するしかありません。

この時、私は前日と前々日の2日間はひたすら他の登壇者の方が話そうなことを想像してはそれに対して私の戦い抜くと決めた4つの項目を絡めて言葉を返す、というとても非効率的な気の遠くなるような練習を、
朝から晩まで、晩から朝まで、朝から晩まで繰り返していました。

自分で話してそれを録音しておいて、その録音を聞いてまた変えて、、という作業です。

最終的には、「これで大丈夫だ!」というより「ここまでやって無理ならもともと無理だし、まあここで失敗しても死ぬわけでも指名手配になるわけでもないから、このままいこう」と決めたタイミングがあったわけですが、ここまでやってようやく次から次へやってくる恐怖が薄れました。

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結果、他の登壇者のみなさまがお話されていた「当事者意識」にかけて、日本の地方の伝統工芸や文化の現状やアフリカでの子供達の成長に関する現状などをネタに、日本人1人1人が持つべき当事者意識について完全なる学生視点で語り、大好評をいただきました。

もちろん、これは規模も凄まじく大きいわけではありませんが、個人的にはものすごく大きな成功体験、もといやって本当によかったと心の底から思っていることです。



逃げ出したくなるような恐怖。
どんな人でもありますよね。
もしかしたら、今の私も、今のあなたもそんなタイミングなのかもしれません。

もはや、恐怖は前提に考えても良いでしょう。
恐怖がない人なんていないはずです。

1人1人がそれぞれ持つ恐怖に立ち向かって、何度も負けながらも立ち上がり、前に進もうと努力し続けることができるような世界。
そういう世界は、なんとも素敵だなと思う金曜の夜なのです。


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